扇子(オリジナル扇子)を使った遊戯 │2007年11月07日
平安時代に日本で生まれた扇子(オリジナル扇子)を利用した遊びが江戸時代に生まれました。それが「投扇興(とうせんきょう)」です。テレビなどで見たことがある方も多いのではないかと思いますが、よくお座敷あそびのひとつとして紹介されています。オリジナル扇子を使っていたかもしれません。
広辞苑で投扇興(とうせんきょう)をひいてみると、「江戸時代の遊戯の一。台の上に蝶と呼ぶいちょう形の的を立て、1メートルほど離れた所にすわり、開いた扇(オリジナル扇子)を投げてこれを落とし、扇と的の落ちた形を源氏54帖になぞらえた図式に照らして採点し、優劣を競う。1773年(安永2)頃から盛行。扇落とし、なげおうぎ。」とかかれています。
これだけでは少し分かりにくいかもしれませんね。まあ、簡単にいうと、一定距離離れたところから扇子(オリジナル扇子)を投げて的を落として、点式図と呼ばれるルールブックに従いポイントを競うゲームといったところでしょうか。
投扇興(とうせんきょう)が歴史上に登場するのは江戸時代後期になってからだそうです。「枕に蝶が休んでいる所に扇子(オリジナル扇子)を投げつけた所その蝶と扇が舞い、木枕に乗る様子がおもしろいことからこの遊びを思いついた」と当時の投扇興の本に書かれていることから、これを発祥とする説もあるそうです。
江戸時代に生まれた投扇興は、一時流行の兆しを見せたようですが、徐々に衰退していきます。今でこそオリジナル扇子を使ったお座敷遊びというイメージが強い投扇興ですが、当時は庶民の遊びだったようです。そのためか、投扇興は賭博に利用されることもあり、幕府より禁止令が出たこともあったようです。
その後、明治・大正時代に投扇興がブームになることはありませんでしたが、戦後、投扇興はその優雅さからか除所に復興され、平成になるとマスコミなどで取り上げられたことによって注目を集めるようになりました。
投扇興には大きく分けると其扇流・御扇流・都御流の3つの流派があります。流派によってルールや点式に若干の違いがあるようです。
「其扇流(きせんりゅう)」は東京浅草を中心に普及しており、正式発足が昭和50年というまだ新しい流派です。歌舞伎俳優の十二代目市川團十郎さんが家元を努め、東都浅草投扇興保存振興会を中心に活動が行われています。マスメディアに取り上げられることが多い流派です。
「御扇流(みせんりゅう)」は日本投扇興保存振興会が家元となり活動が行われています。全国で400名ほどの会員がおり、年に2回全国大会が開かれています。御扇流には段位・級位がありません。「ミス投扇興」を選出するといった面白い活動もしています。
「都御流(みやこおんりゅう)」は、京都の流派です。過去の文献からの投扇興と日本伝承文化との複合型といわれ、点式には忠実に源氏物語54帖の銘定が全て描かれています。
扇子のできるまで
一本のオリジナル扇子が完成するまでには30近い数の工程があり、そのほとんどを職人による手作業で行っています。京扇子のオリジナル扇子はそれぞれの工程を担当する職人がいて、細かい分業により作成されます。一方、江戸扇子はほとんどの工程を一人の職人が担当するため、職人それぞれの個性が魅力となっています。オリジナル扇子の作成工程は主に、扇骨の加工、地紙の加工、扇骨と地紙の組み合わせに分けられます。
扇骨(せんこつ)
扇骨の生産は滋賀県安曇川町と愛知県大治町がほとんどを占め、特に安曇川町は全国生産量の八割を生産するほどです。扇骨は節の間が40センチ以上の、三、四年育った竹から作られ、この竹は冬に切り出されます。
扇骨の長さに切りそろえられた竹は、縦に細かく割られ、扇子の外側に使われる親骨と、内側になる仲骨とで、それぞれ別の工程へ送られます。竹を煮たあと、親骨は表面を削り定められた厚みに加工します。仲骨は裏表の両面を削り取って規定の厚さにしていきます。削った数十枚の竹に要を通す穴を開け、串を通して板のように揃えます。扇骨はまとめられたまま、扇骨加工専用の工具で削られ、同じ形へと成形されます。
削られた扇骨は湯の中で漂白され、屋外に並べて昼夜干されます。この乾燥工程を「白干し」と呼び、扇形に開かれた扇骨が並ぶ様子は安曇川独特の風景として知られています。白干しを終えた扇骨は磨きをかけてつや出しや塗装が施され、仲骨は地紙へ差し込むために先端を細く削られます。
扇骨の色合いを合わせながら、扇子一本分の扇骨を要でまとめて扇骨は完成です。親骨は18工程、仲骨は16工程があると言われています。
地紙(じがみ)
扇面となる紙を地紙といいます。表面となる皮紙を、芯紙と呼ばれる薄い和紙の裏表に貼り付けます。仲骨は、この芯紙に差し込まれることになります。
地紙に絵や模様を描きます。箔押しをする場合には、最初に箔を押してから絵を描き込みます。人物を描く場合には折り目に顔がかからないようにするなど、扇面独特の描き方が要求されます。手書きの他にも、木版や型紙を用いて模様が描かれています。
絵の描かれた地紙に折り目を入れます。折り型と呼ばれる二枚ひと組の型に地紙を挟み、折り畳んでいきます。折り目のつけられた地紙に、差竹と呼ばれる道具を芯紙に突き刺し、芯紙の和紙を開くことで仲骨を差し込む空洞を作っていきます。地紙に圧力をかけて折りぐせをつけ、余分な部分を切り落とし形を整えると地紙は完成です。
組み立て
地紙と扇骨を組み合わせていきます。折られた地紙に息を吹き込み、芯紙の空洞を広げて仲骨が通しやすくします。この作業を「地吹き」と呼びます。仲骨に糊を塗り、素早く芯紙の中へ差し込んでいきます。この糊に香料を混ぜ、完成後のオリジナル扇子から香りが漂わせることもできます。仲骨の差し込まれたオリジナル扇子は一昼夜、板で挟んで圧力をかけることで安定します。最後に熱して曲げた親骨に地紙を糊付けして扇子の完成です。
このようにしてオリジナル扇子は出来上がります。
海外での扇子文化 2
スペインの扇子文化
扇子というと日本を中心としたアジア各国の文化という感じがしますが、実は遠くヨーロッパにも扇子文化が根づいています。特に、スペインでは現在でも扇子文化が生活に浸透しているといえるでしょう。
ヨーロッパに扇子が渡ったのは、日本の江戸初期、ポルトガルやスペインとの間に行われた南蛮貿易で扇子は海をわたりました。その後、ヨーロッパ各地で扇子文化が育まれましたが、時代の流れからか少しずつ衰退していった扇子文化も、スペインだけは着々と発達し続けてきました。理由ははっきりと分かりませんが、スペイン独特の暑い気候のせいなのかもしれません。スペインでは今でも多くのシーンでオリジナル扇子が使われています。
スペインでは、オリジナル扇子は扇ぐ道具以外に、インテリアや芸能の小道具、コミュニケーションの道具として使われてきました。ただ面白いことに、日本では男性も女性も使う扇子が、スペインでは女性だけしか使わないそうです。これはスペインでの扇子文化の歴史によるものではないかと思われるのですが、100年くらい前はスペインのオリジナル扇子は女性が男性への気持ちを伝える道具だったそうです。当時盛んに行われていた舞踏会で、付き添いの目を盗んで気持ちを寄せる男性にこころを伝えたといわれています。
オリジナル扇子の使い方でそれぞれ意味があり、たとえば扇子を閉じ、その後開いて頬に当てたら、「あなたを好きです」という意味になるそうです。また、胸の前でゆっくり扇いだら「私はもう求婚者がいるから構わないで」、扇子をこめかみにあてて上をみると「昼も夜もあなたを思っています」という意味になるそうです。
こういった歴史的背景から、今でもスペインでは日常的に扇子が使われています。スペインに観光に来たヨーロッパ人が、扇子でパタパタと扇ぐスペイン人をみて驚くことがよくあるそうです。他のヨーロッパ諸国で扇子はインテリアとして飾るもの。扇ぐものではないのです。そのなかでオリジナル扇子もきっと利用されていることでしょう。
スペインに独自の扇子文化が発展していることがわかるエピソードがあります。スペインのフェリペ皇太子の結婚式の際、祝賀パレードを待つたくさんの市民の手に扇子が握られていたそうです。これはマドリード市の粋なはからいで、初夏の陽射しの中でパレードを待つ人々に少しでも涼風をと、18万本の特性オリジナル扇子を用意したためでした。本当ならば、オリジナル扇子が揺れ動く中を進む馬車を見ることができたのですが、折から降り出した夕立によってそれを見ることは叶いませんでした。
しかし、結婚式と晩餐会の席では、扇子は重要な役割を果たしました。出席した王室の多くの婦人は手にオリジナル扇子を携えていました。スペインの社交界では、正装した女性が手に携える装飾小物はそのほとんどが扇子なのだそうです。挙式後のレティシア妃の手にも例外なく扇子が携えられていたそうです。
また、記憶に新しいアテネオリンピックの開会式でも、スペインの女子選手全員が真紅の扇子を振りながら入場行進する姿を見ることができました。この光景も、スペインの生活に扇子が深くかかわっているからこそといえるかもしれません。