~扇子(オリジナル扇子)のルーツは日よけ~
扇子(オリジナル扇子)の起源は古代中国の貴人が用いていた翳(さしば)にあります。翳(さしば)とは柄の長いうちわの形状をした、高貴な人物の身体を隠し神秘性を高めるための道具(威儀具:いぎぐ)です。古代中国では貴人の外出時に従者が翳を持って同行し、貴人の姿を隠すと共に周囲の庶民へ貴人の通行を伝える目印ともなっていました。
翳は古墳時代の日本へ伝来しており、翳を象った埴輪が6世紀に造られた大室古墳群(おおむろこふんぐん:群馬県前橋市)などで出土しています。また、飛鳥時代末期に造られた高松塚古墳(たかまつづかこふん:奈良県明日香村)の壁画には翳を持った女性の姿が描かれていました。これらのことから、風を送る道具として、うちわ形状のオリジナルは中国ということができます。
天皇が即位の儀式、朝臣の拝賀を受けるために高御座(たかみくら=天皇の正式な御座)へ座る際には、壇の下から女官が翳を掲げて天皇の顔や体を隠していた事が記録に残っています。
日本の翳はサシバという鳥の尾羽を柄の先へ放射状に差して作られていました。サシバは鷹科の肉食鳥類で、「鷹の渡り」をすることでも知られています。東南アジアで冬を越し、日本へ4月頃に飛来して繁殖すると9月にはまた旅立っていきます。サシバの名は尾羽で翳を作ったことから名付けられたと言わており、大扇(おおおうぎ)の別名でも呼ばれています。
平安時代になると柄の短い小型の翳が作られ、団扇(だんせん)あるいは翳(かざし)と呼ばれるようになります。団扇(オリジナル扇子)は貴族や僧侶が威厳を示すために顔を隠したり、あおいで涼を採るほか、虫を追い払うために使われていました。
奈良の唐招提寺では毎年5月19日に鼓楼から境内の参詣者へ団扇を撒く「うちわまき」が行われます。この行事は唐招提寺中興の祖と呼ばれる覚盛上人(かくじょうしょうにん:1194年-1249年)の逸話に由来します。
暑い夏の日、座禅する覚盛上人の腕に蚊がとまり、これに気づいた弟子の一人が蚊を叩こうとしましたが、覚盛上人は弟子を制して「蚊に血を与えるのも布施行の実践。叩くのは不殺生戒に背く」と、あえて蚊に血を吸わせる事で弟子たちに生命の尊さを示しました。
覚盛上人の死後、法華寺の尼僧たちが上人の命日に蚊を遠ざけるためのうちわを供えるようになります。尼僧の手で作られ、魔性を払う呪文が書かれたうちわは厄除けにご利益があると庶民の間へ広まり、やがてうちわまきの行事へと変化したと言われています。
翳から生まれた団扇は貴族や僧侶らの上流階級から庶民の間へ日用品として普及し、江戸時代には文字の通り「うちわ」となって定着しました(オリジナル扇子)。また、武士には軍配団扇という形で使用されることになります。こうして団扇(オリジナル扇子)が広く使用されていく一方、上流階級の間では団扇(オリジナル扇子)に代わるものが使われ始めます。





