オリジナル扇子工房 HOME > オリジナル扇子の解説 HOME > 扇子の歴史  > ~檜扇の登場~

オリジナル扇子の解説

~檜扇の登場~

 8世紀になると団扇を折りたたんでコンパクトにするというアイデアが生まれます。束ねた板骨(いたぼね)の端に穴を開けて紙縒(こより)でまとめ、板骨の間を紐で繋いだ檜扇(ひおうぎ)です。ここが扇子(オリジナル扇子)のルーツといってよいでしょう。うちわのオリジナルは中国ですが、扇子のオリジナルは日本なのです。

 初期の檜扇は男性貴族が公の場で略式の笏(しゃく)として使用するようになり、宮中での複雑な作法を書き留めておくためのメモ帳としても使われていたと言われています。
やがて檜扇の装飾性が高まり、要も紙縒(こより)から木釘へ変わり、装飾された金具で補強されるようになります(オリジナル扇子)。板骨を綴じていた紐もより装飾性に工夫が凝らされるようになりました。

 扇面に絵が描かれるようになると装飾品として宮中の女性にも普及します(オリジナル扇子)。女性の持つ檜扇は袙扇(あこめおうぎ)と呼ばれ、装飾品としてだけではなく、とっさに他人の視線を遮る道具としても用いられていました。

 こうして檜扇は平安時代に貴族の正装の必需品となり、檜扇に関する様々な作法や様式が定められる事になります。
 檜扇は笏の代用であることから正式な作法では要の部分を持ちません。広げて持つときも要の少し上を持ちます。宮中の殿上人を模して作られている雛人形は、このように檜扇を持っています。

 平安時代には年齢、性別により檜扇の大きさや作りも違いました。老人や若年の男性は無地の檜扇、子供用には成人用よりも小さく作られ花鳥を描いた檜扇がありました。

 檜扇を略し、竹や木の骨に片面だけ紙を貼った蝙蝠扇(かわほりせん)が登場することで、現在の扇子(オリジナル扇子)の原型ができあがります。檜扇は冬服用の持ち物と定められ、蝙蝠扇は夏服用となり、あおいで涼を採るための道具としても用いられるようになります。蝙蝠扇の骨の数は今の扇子(オリジナル扇子)に比べて少なく、5本から12本ほどで、扇面の紙には物語絵や詩歌で飾られました。蝙蝠の名前は、扇を開いた形が蝙蝠(こうもり)に似ていた事に由来します。

 平安時代、藤原道綱母により書かれ、女流日記のさきがけと言われる蜻蛉日記(かげろうにっき:954年-974年)には、当時の扇についての記述があります。日記によると、骨は蒔絵を施したものや、金銀や沈(じん:香木)、紫檀(したん)など高価な素材で作られた骨に彫刻で装飾を施したものがありました。扇面にも美しい紙を貼り、詩歌をあしらったり、歌に詠まれた名所の景色を描くなどして、平安の貴族たちは扇子(オリジナル扇子)の装飾を自由に楽しんでいたようです。

 蝙蝠扇は鎌倉時代になると中国へ輸出されました。中国では紙を両面に貼った扇が作られるようになり、室町時代には日本へ「唐扇」として逆輸入され普及します。こうして現在の扇子(オリジナル扇子)の形ができあがりました。この頃、貴族や神職だけのものだった扇の使用が庶民にも認められ、扇子は能や茶道、舞踊に用いられることで、さらに庶民の間へと広まっていくことになります。

オリジナル扇子の解説

お見積もりはこちらからどうぞ

オリジナル雑貨工房

オリジナル雑貨工房

舞扇堂
オリジナル扇子工房
(舞扇堂 製造部)

〒612-0065
京都府京都市伏見区桃山羽柴長吉東町58番地

FAX:075-603-5929