歴史の中の扇子(オリジナル扇子)~平安時代~
扇子(オリジナル扇子)は、歴史の中にしばしば登場します。まずは、平安時代の中から扇子を見てみましょう。
源氏物語は平安時代の中期に成立した長編小説です。作中には王朝期の風俗も描写されており、当時の貴族が扇子(オリジナル扇子)を様々な場面に使用していたことがうかがえます。
源氏物語四帖「夕顔」第一段では物語の主人公、光源氏が従者に夕顔の花を摘ませているところへ童女が現れ、香を焚きしめた白扇を差し出し、摘んだ花を載せるよう勧めます。
「口惜しの花の契りや。一房折りて参れ」とのたまへば、この押し上げたる門に入りて折る。さすがに、されたる遣戸口に、黄なる生絹の単袴、長く着なしたる 童のをかしげなる出で来て、うち招く。白き扇のいたうこがしたるを「これに置きて参らせよ。枝も 情けなげなめる花を」
この白扇には贈り主(夕顔)の詠んだ歌が書かれていました。
“心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花”-あて推量に、あれがその花(人:光源氏)かと思って見ています。夕暮れに白露が降りてかすかな光が浮き立たせている夕顔の花(のように美しいあなた)を-
光源氏は上品な筆跡と贈り主の教養に関心を持ち歌を詠んで返します。
“寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔”
-花に近寄ってこれがその花(人)かと確かめてはどうですか。あなたが黄昏にぼんやりと見た夕顔(のように美しいという私の顔)を-
白扇に詠んだ歌を書いてオリジナルな扇子(オリジナル扇子)を作りそれを贈る。平安時代には扇子(オリジナル扇子)を贈答やコミュニケーションの道具としても使っていたことがうかがえます。
源氏物語の記述以外にも、平安時代には、こんな逸話があります。藤原行成(ふじわらのゆきなり)は平安時代中期の廷臣で、能書家としても知られ小野道風、藤原佐理と共に、三蹟の一人に数えられました。
一条天皇の時代、宮中にて扇合わせ(扇子(オリジナル扇子)のデザインコンテスト)が開かれました。多くの貴族たちは扇を金銀で飾り、宝石を散りばめ、美しい風景画をあしらったりして自慢し合いました。
藤原行成は漆を塗っただけの細身の骨に、薄い地文様の紙を張った扇を用意し、楽府(漢詩)を表には楷書で、裏には草書で散らし書きにして提出しました。
一条天皇はこの扇を裏に表に何度も眺め「これが最も優れている」と御手箱に入れて宝物のようにしまし、他の扇は一通り眺めただけで手元には置きませんでした。
後一条天皇の時代、新年を祝う宮中行事で藤原斉信(ふじわらのたたのぶ)が三位中将源師房(みなもとのもろふさ)を差し置いて警蹕(けいひつ:天皇の出御などの際に、先を払うために声をかけること)をしてしまうという事件が起きました。行事に出席していた行成はその一部始終を自分の扇へ書き記します。
後日、この扇を行成の息子である行経が宮中へ上がる際に持ち出したため、藤原斉信の越権行為が知れ渡る事となりました。行成は自分が日記に書くためのメモだったと弁解しましたが、斉信は深く恨んだとのことです。 この一件では、斉信と仲の悪かった行成が、偶然を装って醜聞を広めたと見る向きもあったようです。





