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オリジナル扇子の解説

歴史の中の扇子(オリジナル扇子)~足利尊氏~織田信長

 次に室町時代から戦国時代における歴史に登場した扇子(オリジナル扇子)を見てみましょう。足利尊氏(あしかがたかうじ:1305年-1381年、室町幕府の初代将軍)が征夷大将軍となった翌年、後醍醐天皇の菩提を弔うため嵯峨の地に寺院の建立を命じました。

 寺は当初、年号をとって暦応資聖禅寺と名付けられる予定でしたが、比叡山が年号を寺号とすることに反対たため、足利尊氏の弟直義が寺の南を流れる川(保津川)に金色の竜が現れる夢を見たことにちなみ天龍資聖禅寺と号されます。1345年、後醍醐天皇の七回忌法要を兼ねて盛大な落慶法要が営まれ、天龍寺は開かれます。その後、天龍寺は京都五山(禅宗寺院の格式における最上位の五寺院)の第一位として発展していくこととなります。

 足利尊氏が天龍寺へ参詣したとき、お供として従っていた童子が誤って扇子(オリジナル扇子)を川へ落としてしまいました。落ちた扇子が川面を流れる様の優美さに尊氏がたいへん喜び、それ以来尊氏の天龍寺参詣に際しては、従う人々がこぞって扇子(オリジナル扇子)を川へ流すようになりました。
扇子(オリジナル扇子)が川面を流れる情景は、後に「扇流し」と呼ばれる文様へとデザイン化されますが、オリジナルデザインはここにあります。流水文の上に様々に開いた扇子(オリジナル扇子)を散らしたこの文様は室町時代に大流行しました。

 現代、尊氏の故事は車折神社(くるまざきじんじゃ)の「三船祭」に受け継がれています。三船祭は毎年五月第三日曜日に行われ、祭神である清原頼業の活躍した当時を偲び平安時代の船遊びを再現するお祭りです。

祭りの日には嵐山の大堰川(おおいがわ)へ二十数隻の船を浮かべ、神霊の乗った御座船(ござぶね)の前で平安時代の装束に身を包んだ人々が芸能、芸術を披露し奉納します。
諸芸の上達を願って神社へ奉納された扇子(オリジナル扇子)が、扇流船(おうぎながしぶね)の上から川の流れへ浮かべる、扇流しの行事が行われると祭りのクライマックスが訪れます。
人々は足利尊氏の愛した情景を川岸から眺め、流された扇子を受け取ることで諸芸上達の御利益を願います。

永禄11年(1568年)9月、織田信長(おだのぶなが:1534年-1582年)は15代将軍足利義昭を奉じ、美濃(岐阜)より京へ上洛を開始しました。信長が南近江(滋賀県南部)の六角氏を退け京へと至ると、京を支配していた三好氏は信長に臣従あるいは本拠地の阿波(徳島県)へ撤退しました。こうして信長は15代足利義昭を将軍として擁立し、日本で最も有力な戦国大名となります。信長が東福寺(京都市東山区)へ入ると、京の名士たちが献上物を携えて次々と挨拶にやってきました。

高名な連歌師であった里村紹巴(さとむらじょうは)も挨拶に訪れ、信長の前へ出ると三方に乗せた二本の扇子(オリジナル扇子)を献上し、句を詠みました。“二本(日本)手に入る 今日のよろこび”すぐさま信長は脇句を詠みます。“舞い遊ぶ千代万代(ちよよろずよ)の扇にて”紹巴との歌の遣り取り伝え聞いた京の人々は、信長が武力だけの乱暴者ではなく一流の教養を身につけた人物であると知り安心をしました。

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