落語と扇子
扇子(オリジナル扇子)をいつも手元に置いている職業といえば落語家です。落語の起源は17世紀の江戸で始まった、芝居小屋や風呂屋で身振り手振りでおもしろおかしく聴かせる「座敷仕方咄」と、同時期に大阪や京都で道端に舞台を設け、自作の噺を語って聴かせた「辻咄」(つじばなし)や「軽口」(かるくち)がといわれています。
江戸前の落語では扇子(オリジナル扇子)と手拭いだけを使って噺を演じます。上方落語では扇子と手拭いだけでなく、見台(けんだい:読書用の小さな机)と小拍子(こびょうし:小型の拍子木)も用いる場合がありますが、これは上方落語が辻咄に起源を持つ名残と言われています。
落語で使われる扇子(オリジナル扇子)は落語扇、高座扇とも呼ばれ、サイズは七寸五分(22.7cm)が一般的です。楽屋の符牒では「かぜ」と呼ばれます。真打(しんうち)になると自分用のオリジナル扇子を持つことができるようになりますが、白い扇面へ名前とワンポイントの模様を入れる程度で、色の付いた扇子(オリジナル扇子)はほとんど使われません。高座では扇子(オリジナル扇子)を、手つき、視線、動作で様々な物を表現するため、色が付いているとイメージを損なうため、白が用いられているようです。取り出す際に引っ掛かるのを防ぐため、親骨を削って面取りをした扇子(オリジナル扇子)を持つ噺家もさんもいます。
上方落語の大看板として知られる三代目桂春團治(かつらはるだんじ:1930年生)は、芸に対して研究熱心なことで知られています。70席を超えるネタを持ちながら、納得のいく完成度に達した噺だけを高座で演じるという完璧主義のため、持ちネタが少ないと誤解された事もありました。落語で演じる身振り手振りを追求するために入門した山村流舞は、名手と呼ばれるほどです。
高座で羽織を脱ぐ姿にもこだわりを見せ、噺の本題へ入る前に羽織を脱ぐ仕草がリズムを悪くしていると考えた春團治師は、羽織を後ろ手で落とすように脱ぐ、独自の方法を考え出しました。さらに、羽織の袂を着物より大きく作ることで動作に誤りがないようにするなど完璧主義者ぶりを発揮しています。そんな春團治師の完璧主義者ぶりが最も現されている噺が『親子茶屋(おやこぢゃや)』です。
親子茶屋は、商家の大旦那と若旦那の滑稽噺で、明和4年(1767)の笑話本『友達ばなし』中の一遍である『中の町』が元になっています。
連日のように芸妓遊びを続ける若旦那をさんざんに叱った大旦那、番頭さんの勧めで気晴らしのお寺参りへと出かけます。ところが大旦那の向かった先はお寺ではなく花街、実は大旦那も大の遊び好きで店の者にも知られぬようずっと隠れて芸妓遊びを続けていたのでした。
「わしが使う、倅が使うではうちの身上もたまったもんじゃない」とぼやきながらも馴染みの茶屋へ上がり、いつものように芸妓を呼ぶと「狐釣り」で遊び始めます。
※狐釣り:狐を罠に掛けて捕る猟。お茶屋遊びの狐釣りは歌い踊りながら、扇子の目隠しをした狐役から逃げる鬼ごっこ
釣ろよ、釣ろよ、信太の森の、狐どんを釣ろよ
やっつく やっつく やっつくな
釣ろよ、釣ろよ、信太の森の、親旦那を釣ろよ
やっつく やっつく やっつくな
番頭を騙して店から逃げ出してきた若旦那が花街へやってくると、昼間から大騒ぎして遊ぶ声が聞こえてきます。茶屋の女将から、六十を過ぎた年寄りが遊んでいると聞いた若旦那は「昼間から茶屋遊びとは、家の親父にも見習わせたいわ」と、座敷に居るのが自分の父親とも知らず、料金の半分を支払うと申し出て狐釣りに参加します。大旦那が親狐、若旦那は子狐と二人とも扇子の目隠しをしたまま狐釣りが再開されます。
釣ろよ 釣ろよ 信太の森の 仔狐どんを釣ろよ
やっつく やっつく やっつくな
釣ろよ 釣ろよ 信太の森の 親旦那を釣ろよ
やっつく やっつく やっつくな やっつく やっつく やっつくな
二人で大騒ぎをしたあと、いよいよご対面と二人が扇子の目隠しを外します。
「あっ! あんた、お父ちゃん!」
「せ、倅やないか! ・・・・博打だけはならんぞ」
春團治師のこだわりは狐釣りの場面にあります。狐釣りは三分の一ほど開いた扇子を要を下にして額へ当て、しごきを鉢巻きのように結ぶことで目隠しにして遊びます。目隠しの扇子(オリジナル扇子)が先の尖った狐の顔のように見えるという趣向です。
春團治師は親子茶屋を口演するため、専用の扇子(オリジナル扇子)まで作成しました。扇子(オリジナル扇子)が狐の顔に見える最もきれいな角度で開くよう、扇面の一部を糊付けしたのです。ここまでこだわったオリジナルの扇子を使っているのは春團治師だけだそうです。





